横浜地方裁判所 平成10年(行ウ)4号 判決 1999年2月24日
原告
金井利守(X)
右訴訟代理人弁護士
仙田富士夫
被告
神奈川県公害審査会(Y)
右代表者会長
長谷川正之
右訴訟代理人弁護士
武内大佳
右指定代理人
前島純二
同
森清司
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 事案の概要
本件は、原告が公害紛争処理法に基づく公害調停の申請をしたところ、被告が申請の一部を不適法として却下したので、原告がその取消等を求めた事案である。
第二 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1(一) 第一次請求
被告が原告に対し平成九年一二月二六日付け通知書(以下「本件通知書」という。)をもってした次の公害調停事件の次の一部分の申請を却下する旨の決定(以下「本件却下決定」という。)が存在しないことを確認する。
記
原告他一名が神奈川県公安委員会(以下「県公安委」という。)他二名を相手方として被告に申請した公害調停事件(平成九年(調)第一号座間市道三〇号線交通騒音等被害防止・損害賠償請求調停事件。以下「本件公害調停事件」という。)のうち、相手方県公安委に関する部分
(二) 第二次請求
本件却下決定が無効であることを確認する。
(三) 第三次請求
本件却下決定を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第三 当事者の主張(原告の請求原因)
一 当事者
被告は、公害紛争処理法の定める神奈川県(以下「県」という。)の機関である。
原告は、金井久子とともに、本件公害調停事件を被告に申し立てたものである。
二 本件公害調停事件の申請
1 本件公害調停事件の内容
原告及び金井久子は、神奈川県座間市道三〇号線(以下「本件市道」という。)のうちの一部地域における大型自動車の交通量の激増による公害に係る被害について、平成九年五月一六日、県、県公安委及び座間市(以下「市」という。)を相手方として、被告に対し、公害紛争処理法二六条一項に従い、本件公害調停事件の申請(以下「本件申請」という。)をした。
2 県公安委に対する調停申請事項
本件申請のうち相手方県公安委に関する部分(以下「県公安委に係る申請部分」という。)の調停申請事項は、次のとおりである。
(一) 県公安委は、本件市道について、<1>大型車両の違法通行を取り締まること。<2>最大積載量二トンを超える車両の通行を全面的に禁止すること。<3>休日は終日、休日以外の日は午後一〇時から翌日午前六時まで、普通車両以外の車両すべての通行を禁止すること。
(二) 県公安委は、座間中学校前の交差点に交番を設けること。
(三) 県公安委は、県道五一号線(いわゆる行幸道路)から本件市道に入るための左折進行を終日全面禁止すること。
三 本件却下決定
被告は、原告に対し、第二の一「請求の趣旨」欄の1(一)記載の本件却下決定を通知した。
四 本件却下決定の瑕疵
本件却下決定は、次のとおり、存在しないのであり、仮にそうでなくとも、無効又は取り消されるべきである。
1 本件却下決定の法律上の根拠の不存在
公害紛争に関する不適法な責任裁定申請を却下することについては公害紛争処理法四二条の一三に規定があるが、公害調停申請の却下については同法に明文の規定はない。そして、右の申請を却下できるとの見解は、根拠薄弱であり、採用することができない。したがって、本件却下決定は、法令の根拠なしにされたものであり、著しい瑕疵がある。
2 本件却下決定の違法性
(一) 却下事由の欠如(県公安委に係る申請部分の適法性)
本件のような道路に関する公害紛争は、規制権限のある者による規制とあいまって初めて実効的な対策を講じ得るのであるから、行政権限を有する者との紛争も含めて、公害調停の対象とすべきである。
また、仮に県公安委に係る申請部分が不適法である疑いがあるとしても、公害調停は、民事裁判とは異なり、柔軟な解決策を探ることに存在意義があるから、被告としては、県公安委を相手方とする部分を早急に却下すべきではなかった。
(二) 行政手続法一三条及び憲法三一条違反
本件申請のうち、県公安委に係る申請部分が却下されるということは、原告等本件公害調停事件の申請人(以下「本件申請人」ということがある。)にとっては、全く予想外のことであった。このようにも原告等に告知・聴聞の機会を与えることなく行われた本件却下決定は、行政手続法一三条及び憲法三条に違反する。
(三) 被告による調停手続の遅滞
仮に県公安委との関係で本件申請の適法性について問題があったとしても、被告は、そのような問題のない県及び市との関係での本件公害調停事件部分も進めようとはしなかった。そのため、本件公害調停事件の進行が非常に遅れることとなった。
五 よって、原告は、被告に対し、第二の一「請求の趣旨」欄記載の判決を求める。
第四 当事者の主張(被告の答弁)
一 請求原因に対する認否
1 請求原因一ないし三の事実は認める。
2 同四は争う。
二 主張
1 本件却下決定の存在
被告は、平成九年一二月一〇日に開催された公害審査会において、県公安委に係る申請部分を却下する旨の決定をし、本件通知書によって本件申請人その他の当事者に通知した。本件却下決定が存在していることは明らかである。
2 本件却下決定の適法性
(一) 不適法な公害調停の申請を却下することができる旨の明文の規定はない。しかし、民事調停法の解釈においては、不適法な民事調停申請を却下できると解されているので、これに準じて、不適法な公害調停申請は却下できると解するべきである。
(二) また、公害紛争処理法二六条が「公害に係る被害について、損害賠償に関する紛争その他の民事上の紛争が生じた場合において」と規定していることから明らかなとおり、公害紛争処理制度においては、(1) 被害者と加害者との間の民事に関する紛争のみが取り扱われ、(2) 行政に関する紛争は対象とはならないと解される。したがって、公害調停の申請人又は相手方たり得る者は、私人間の法律関係を解決する主体である自然人や地方公共団体等の人格を有する者に限定され、行政主体の一執行機関にすぎない県公安委等は、法令に特別の規定がない限り公害調停の当事者能力を有しない。
(三) よって、県公安委という当事者能力を有しない者を相手方とした県公安委に係る申請部分は不適法であり、これについては補正も不可能であるから、本件却下決定は適法である。
第五 主な争点
一 本件却下決定の処分性の有無
二 本件却下決定の法的根拠の有無
三 本件却下決定の内容の適否
理由
一 前提事実
請求原因一から三の事実(当事者、本件申請の内容及び本件却下決定の存在)は当事者間に争いがない。
二 争点の整理
被告代表者(神奈川県公害審査会長)名義の平成九年一二月二六日付けの「調停申請の一部却下について(通知)」という表題の文書(〔証拠略〕。本件通知書)が、原告(本件申請人)に送付されたことは、争いがない。
そして、右文書の内容は、県公安委に係る申請部分を却下するので通知するというのであり、その理由は、「県公安委は、地方公共団体の執行機関であって、法律に特別の定めがない限り、調停において当事者能力を有しない。本件申請人が県公安委に求めている事項は、公権力の行使に関するものであって、本件申請人と県公安委との間の紛争は、民事上の紛争とはいえない」という趣旨のものである(〔証拠略〕)。したがって、外形上、本件却下決定が存在することは明らかであり、原告もその点は自認している。
原告が問題とするのは、本件却下決定が、処分の外形だけを有し裏付けとなる処分の実質を伴わず、若しくは法律の根拠を欠き、又は少なからぬ瑕疵を有するということである。
そこで、まず、本件却下決定が形ばかりで実質を伴わず、不存在というべきものかどうか、次に決定に処分性があるか、さらに決定に無効又は取消事由となる瑕疵があるかについて、検討する。
三 本件却下決定の実質性の有無
1 本件却下決定に至る経緯
本件却下決定は、外形上は二のとおりの理由によりされたのであり、また、弁論の全趣旨により、次のとおりの経過を踏まえてされたことが認められる。すなわち、
(一) 本件申請がされたので、被告は、平成九年五月二一日、公害紛争処理法施行令七条に基づき、相手方らに対し、申請書の写しを添えて本件申請があったことを通知した。
(二) 被告は、同年七月一四日、公害審査会を開催し、本件申請の受理について審議したところ、県や市を相手方とする申請部分もあるので、本件申請全体を受理することとし、被告代表者会長は、調停委員会を構成する調停委員三名を指名した。
(三) 調停委員会は、第一回調停期日を同年九月三日と決め、本件申請人及び相手方に対し、その旨を同年七月三一日に通知した。
(四) 同年九月三日に開催された第一回調停期日において、相手方ら県及び県公安委から意見書が提出され、その「本案前の申立て」と題する部分において、被告に対し、公害紛争処理法三五条に従い、県公安委に係る申請部分について、次の理由により調停をしないものとする決定を求めるとの申立てがされた。
(1) 県公安委は、本件申請に係る公害の発生源でないことはもとより、国家賠償法上、市道の設置の瑕疵について責めを負うべき設置者でも管理者でもないから、相手方としての適格を有しない。
(2) 県公安委による交通規制行為は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図るためにも発動すべき権限に基づくものであるから、公害紛争処理の一面からのみその当否を決することはできない。
(五) 調停委員会は、右「本案前の申立て」については公害審査会の全体会議で審議するのを相当とする意見を具申し、これを受けた被告代表者会長は、平成九年一二月一〇日に公害審査会を開催し、審議が行われた。
その結果、県公安委に係る申請部分については、(1) 県公安委は、地方公共団体の執行機関であって、法律に特別の定めがない限り、権利義務の主体ではなく、当事者適格を有しないこと、(2) 原告が県公安委に求めている事項は、公権力の行使に関するものであって、原告と県公安委との間の紛争は民事上の紛争とはいえないことを理由に、被告は、右部分を却下することとし、本件却下決定をした。
(六) そして、被告は、原告及び相手方らに本件通知書を送付した。
2 本件却下決定の実質性
本件却下決定は、1のとおりの経緯によりされたものであるから、実質的な内容の伴わない形ばかりのものなどでは決してないと認めることができる。
四 本件却下決定の処分性の有無
1 処分性を問題とすべき理由
次に、本件却下決定が行政処分性を有するかどうかを検討する。
というのは、本件却下決定無効確認請求及び同取消請求(第二次、第三次請求)はもとより、本件却下決定不存在確認請求(第一次請求)も行政事件訴訟法三条二項及び四項により初めて認められるものであるところ、そこでは行政処分その他公権力の行使に当たる行為の取消し・無効確認及びその存否の確認が対象とされているからである。
2 行政事件訴訟法における行政処分の意味
まず、行政事件訴訟法三条二項及び四項にいう「行政庁の処分」とは、行政庁の法令に基づく行為のすべてを意味するわけではなく、公権力の主体たる国又は公共団体が行う行為のうち、その行為によって、直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているものである(最高裁昭和三九年一〇月二九日第一小法廷判決・民集一八巻八号一八〇九頁)。
3 公害調停の性質
(一) 問題の所在
次に、本件却下決定の性質を検討する前提として、公害調停の制度的仕組みを見ることとする。
(二) 公害調停制度の背景
公害紛争処理法は、公害に係る紛争について、裁判所による司法的解決とは別に、調停、あっせん、仲裁及び裁定の制度を設けている(一条)。その趣旨は、公害被害が、財産、人命及び人の健康に広く影響し、社会的に重大な結果を生じ得るものであるから、その紛争については迅速な解決が望まれること、因果関係の解明、被害事実の認定等に関し、高度な技術的・専門的な知識、経験を必要とする場合が多いこと、そのため、被害者自身の立証能力に委ねていては公正な解決を得られないこともあり得ることなどを考慮し、専門の機関によって公害紛争の簡易迅速かつ適正な解決を図らせることが適当であるとしたものと解される。
(三) 公害審査会及び公害調停委員会の性質
このうち、本件のような県の公害審査会が扱う公害調停に関する公害紛争処理法の定める制度を見ると、都道府県は条例で定めるところにより、都道府県公害審査会を置くことができ(一三条)、同審査会は、公害紛争処理法に定めるところにより、公害に関する紛争について調停を行う(一四条一号)。審査会は、知事が議会の同意を得て任命した委員九人以上一五人以内をもって組織し、委員の互選により定められた会長が会を代表する(一五条、一六条)。審査会による調停は、三人の委員からなる調停委員会を設けて行う(三一条一項)。調停委員会は、審査会の委員の中から事件毎に会長が指名する(同条二項)。
したがって、公害調停を行う調停委員会は、都道府県の条例により置かれた都道府県公害審査会により設けられるものであり、調停を担当するとはいえ、民事調停の場合と違って裁判所との関わりは全くないので、組織的には行政機関というべきである。
そして、都道県の公害審査会は、右と同様以上の理由で行政機関というべきであり、そのことは、右の説示のとおりである。
(四) 公害調停を求める利益の性質
公害紛争処理法二六条一項は、公害に係る被害について、損害賠償に関する紛争その他の民事上の紛争が生じた場合においては、当事者の一方又は双方は、書面をもって調停の申請をすることができると規定している。そして、(三)のとおりの公害調停制度の特色、それを扱う都道府県公害審査会及び調停委員会の行政機関生、それらが公害調停を通じて簡易迅速かつ適正な解決を図ることを制度的な目的としていること等からすると、公害調停を利用する国民ないし住民の利益は、単なる事実上の利益というにとどまらず、法律上保護された利益ということができる。
そして、この点は、公害調停が当事者の合意を前提とした制度である(公害紛争処理法三六条)ことによってもなんら消長を来すものではないと解される。というのは、公害調停制度においても当事者の合意がなければ法的な権利義務関係は成立しないが、当事者が希望すれば調停という交渉の場が用意され、公害審査会及び調停委員会による合意促進の働きかけを得られ、また場合によっては調停委員会から調停案の受諾勧告(同法三四条)を受けることができるという制度的な便益を享受できるということは、最終的に調停において合意が成立するかどうかとは別に、当事者にとって独立した法的な利益であると解されるからである。
4 公害調停申請却下の処分性と争訟方法
そうすると、【要旨一】公害調停の申請を受けた機関が、調停の申請を不適法として却下した場合は、公害調停を申請した者は、公害調停を通じて簡易迅速かつ適正な解決をする可能性を妨げられたことになるから、右却下は、直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定するものであり、行政事件訴訟法三条二項及び四項にいう「行政庁の処分」に該当すると解される。
そして、この却下を争う方法は、公害審査会の上部組織と位置づけられる公害等調整委員会(中央委員会。公害紛争処理法三条)に対する不服申立といったものも含め、公害紛争処理法にはなんら規定されていない。
したがって、右の却下は、行政事件訴訟法に従って争うことができると解するのが相当である。なお、公害紛争処理法四六条の二は、「この章の規定によってされた処分については行政不服申立てをすることができない。」と規定しており、公害審査会に対する公害調停も、「この章」である第三章「公害に係る紛争の処理手続」中に規定されているので、不適法な公害調停申請の却下は争えないとする趣旨ではないかとの疑いが生じる。しかし、同法第三章に規定された処分であっても、例えば責任裁定に不服のある者には、損害賠償の訴えを許し(四二条の二〇)、行政訴訟を許さない(四二条の二一)とする等の特別規定を設けているので、四六条の二は、特別の規定のあるものは争うことができ、特別の規定のないものは不可争とすることとしたものと解される。そうであるところ、不適法な公害調停申請の扱いについては公害紛争処理法には明文の規定がなく、民事調停と同様にその申請却下の可否自体が解釈に委ねられているから、その却下の争い方も解釈に委ねられていると解するのが相当であり、申請却下決定は四六条の二の「処分」に当たらず、同条の適用を受けないと解されるのである。
5 本件却下決定不存在確認請求の当否
本件却下決定は、三のとおり実質を伴うものであるところ、その内容は、四4のとおり原告の本件公害調停事件を求める地位を奪うものであるから、処分権者及び処分根拠法規等を含むその内容の適否はともかく、行政処分に該当し、これを行政事件訴訟法によって争うことができると解するべきである。
そうすると、本件却下決定の不存在確認請求(第一次請求)は、右のような実質と処分性を有する右の決定について、それが存在しないことの確認を求めるというのであるから、争訟手段の選択に誤りはないが、内容において理由がないというべきである。
五 本件却下決定の適否
1 本件却下決定の法的根拠の有無
公害紛争処理法は、不適法な責任裁定及び原因裁定の申請でその欠陥を補正することができないものは却下しなければならないとの規定を置いているが(四二条の一三、四二条の三三)、不適法な公害調停申請の処理に関する明文規定は設けていない。
しかしながら、公害調停が公害審査会又はその設置に係る調停委員会という公機関により行われる手続である以上、不適法な公害調停申請についても手続を進めなければならないとすることは、社会経済上容認し難い面があるといわなければならない。また、不適法な申請を却下できないとすると、申請の相手方は、調停委員会から出頭の要求を受け(公害紛争処理法三二条)、正当な理由がなくこれに応じないと過料の制裁に処せられることがあるが(同法五五条一号)、これでは、不適法な申請をした申請人と比べて相手方の負担が加重で、正義公平に反することにもなりかねない。そこで、【要旨二】民事調停の場合に不適法却下があり得ることを前提とした規定が民事訴訟費用等に関する法律九条三項二号にあることをも考慮し、不適法な公害調停の申請は却下することができると解するのが相当である。
そして、公害紛争処理法が公害調停について四二条の一三第一項のような規定を設けなかったのは、公害調停が一面では民事調停の特則という性質を有することを踏まえ、一般法である民事調停法がこの問題についで明示的な規定を設けず、前記の民事訴訟費用等に関する法律の規定があることを不適法却下の根拠とすることができるとの立場を取っているのと平仄を合わせることとさせたものと解するのが相当である。
また、不適法却下をする主体については、不適法な裁定申請の場合は裁定委員会が行うこととされているが、明文の根拠規定がなく解釈で行うことになる公害調停申請の場合には、公害調停申請の名宛人であり(同法二六条一項)、調停委員会の設置主体(同法三一条一項)でもある公害審査会にその権限があると解するのが、調停委員会に権限があるとするよりも適当であると考えられる。
したがって、本件却下決定は、法的根拠を欠く行政処分ではない。
2 本件却下決定の内容上の瑕疵の有無
そこで、次に本件却下決定に内容的な瑕疵がないかどうか、すなわち県公安委に係る申請部分に不適法事由があるかどうかについて検討する。
(一) 県公安委の当事者能力の欠缺
(1) 本件却下決定は、県公安委が当事者能力を欠いていることを理由に県公安委に係る申請部分を不適法としたところ、原告はその点の判断に瑕疵がある旨を主張する。そこで、この点を検討する。
【要旨三】公害紛争処理法二六条は、公害に係る被害について損害賠償に関する紛争その他の民事上の紛争が生じた場合においては、当事者の一方又は双方は、書面をもって、調停の申請をすることができると規定している。右の文言からすれば、公害調停は、被害者と加害者との間の民事に関する紛争を取扱うものであり、公害調停について申請人・相手方となり得る者は、私権の主体たり得る者として、民事訴訟法上の当事者能力を有する者でなければならないと解するべきである。そして、調停が成立すると、民事調停の場合は債務名義となる(民事調停法一六条)が、公害調停の場合には調停機関が公害審査会により設置された調停委員会という行政機関である上、これを債務名義とする特別の規定(例えば「国税滞納処分の例による。」といった規定)もないことから、調停が直ちに執行力を取得することができず、執行力を得るためには公害調停を和解契約として、裁判に訴えて債務名義としての確定判決を取得しなければならないと解される。この点は、被告関係者の法的見解を記載した文献(公害紛争処理問題研究会編著「公害紛争処理法解説」一〇五頁)においても同様である。
しかるに、県公安委は、警察法三八条一項によって、神奈川県知事の所轄の下に置かれた執行機関にすぎず、右の意味における当事者能力を有する者ではない。また、県公安委を公害調停の当事者とすることを認める特別の法令は存在しない。
そうすると、当事者能力を欠く県公安委を相手方とする県公安委に係る申請部分は、不適法といわざるを得ない。
(2) これに対し、原告は、右のような見解は、道路交通法四条が規制権限を県公安委に付与していることを看過するものであるなどと主張する。
確かに、規制権限のある者による規制とあいまって初めて公害に対する実効的な対策を講じ得る場合が少なくない。また、公害調停における調停条項には、民事裁判における判決よりも柔軟な内容を盛り込むことが可能である。現実にも、公害調停における紳士協定としての効力を有するにすぎない調停条項が、当事者の自発的な遵守によって、被害の拡大の防止に大きな役割を担っている。これらのことからすれば、原告の主張には傾聴すべきものが含まれているといえる。
しかしながら、それは、行政機関が調停に任意的に参加し、法令に反しない限度で調停条項に関与する場合に意味を持つにとどまる。仮に県公安委が調停に参加し原告と合意しても、原告が県公安委に対して合意についての執行力を得るためには訴えを起こして右合意を債務名義にしなければならないところ、権利主体たり得る能力(当事者能力)を有しない県公安委に対しては、民事訴訟を提起することができない。このように行政機関に対しては、公害調停における合意も合意後のその履行も任意による以外に強制する方法がおよそないし、他に特別の規定もないから、参加も任意によるしかないといわざるを得ない。したがって、任意に参加しない行政機関に対して、公害調停への参加を強制することは公害紛争処理法上認められていない。そうすると、原告の主張は、(1)の結論を左右するほどのものではないことに帰する。
(二) 行政手続法一三条及び憲法三一条違反の有無
(1) また、原告は、本件却下決定に標記の手続違反の違法がある旨を主張するところ、公害紛争処理法上の公害調停に関する本件却下決定につき、行政手続法一三条及び憲法一三条による告知・聴聞手続が法的に要求されるか否かについては検討を要するところがないわけではない。
その点はひとまず措くが、弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
県及び県公安委は、平成九年九月三日に開催された第一回調停期日において、意見書(〔証拠略〕)を提出し、その中で、三1(四)のとおり「本案前の申立て」と題する主張の下に、調停をしないものとするとの決定を求めた。
調停委員会は、原告(本件申請人)に対し、県及び県公安委の右主張等に対する反論を書面で提出するよう依頼し、原告は、右県公安委の意見書に対し、平成九年一〇月一日付けの詳細な意見書(〔証拠略〕)を提出し、同月一三日に開催された第二回調停期日においてその意見を陳述した。本件却下決定は、原告による右意見書の提出及び意見の陳述の後に行われた。
(2) (1)の認定事実によれば、被告は、原告に対し、告知・聴聞の機会を付し、原告は、被告に対し、書面及び口頭により、詳細に自己の意見を陳述したものということができる。
したがって、本件却下決定に行政手続法一三条及び憲法三一条に違反する瑕疵があるということはできない。
(3) この点に関し、原告は、県及び県公安委が、調停をしないことの決定を求めていたにすぎないにもかかわらず、被告が原告にとって予想もしなかった県公安委に係る申請部分の却下を行ったと論難するようである。
しかしながら、調停をしないという決定も、申請の却下決定も、当該申請に係る事項についての公害調停をそれ以上進行させることができなくなるという点で原告の受ける不利益は同一である。しかも、原告は、前記(1)のとおりの意見表明の機会を得て、県公安委に係る申請部分の適法性について意見を述べているものである。
よって、原告は、本件却下決定の予想ができなかったわけではなく、また自己の意見を述べる機会を得ていたから、原告の右主張は、採用することができない。
(三) 被告による調停手続遅滞の瑕疵の有無
なお、原告は、被告による本件申請に対する対応が遅かったと主張する。
確かに、被告としては、当事者能力等について問題のない県及び市との関係で本件公害調停事件を進めることは可能であったが、そうはしなかったことが認められる(弁論の全趣旨)。
しかし、まず、調停手続が遅滞すると本件却下決定が瑕疵を帯びるといった法理はない。
第二に、前記認定事実及び〔証拠略〕によれば、原告は、本件申請の当初から、被告に対し、県公安委を相手方とするのでなければ本件申請に係る公害紛争の実効的な解決はできないという意見を主張してきたこと、被告あるいは調停委員会は、原告の右意見を前提に、本件申請のうち県公安委に係る申請部分に対する措置を検討するとともに、原告に対し、県公安委に係る申請部分の適法性について意見を陳述する機会を与えるなどしてきたことが認められる。そうとすれば、本件手続の遅滞はあったが、本件却下決定に公害紛争処理法により公害調停の手続に関し被告に与えられた裁量の範囲を逸脱した違法があるとまでいうことはできない。
したがって、いずれにしろ、本件調停手続の遅滞が本件却下決定の瑕疵をもたらすものではない。
3 まとめ
そうすると、本件却下決定に無効事由又は取消事由となるような瑕疵があるとは認められない。
六 結論
以上のとおりであり、原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 近藤壽邦 弘中聡浩)